体は見えない心の声の代弁者
台風が日本列島をまたもや縦断しようとしています。
どうか、やさしく通り抜けますように。
(イメージは測り知れない。「大きな被害になりませんように」と考えるだけで、もう大きな被害を想像してしまう。)
肩から羽を広げるイメージの彼岸花の咲き方
こんにちは。
サポーターのサガワです。
イメージというと自分では気づかぬうちにやっていますね。
ところで、そのイメージの出どころを意識したことがあるでしょうか?
頭を使って予測してからイメージが湧き出すのか。
本心の欲求からイメージが湧き出すのか。
同じ場面を多くの人に想像してもらうと、皆イメージが違うことも興味深いです。
最近、五十肩の症状らしきものが出ていた私の場合、まず頭から想像しました。
「更年期の症状と重なって出始めたのかもー。」
「パソコン時の姿勢のせいかもー。」
ご存知のように治る時間が長いのが五十肩。
だんだん、痛みに対して執着が出てきます。
「まだまだ痛いなー。」
ところが、今日少し肩が軽く感じます。(日々、気温や作業状況も違いますが)
なぜかしらん?
思いを巡らすと、ここ最近、自分に色々な制限をかけていたことに気づかされる状況が続きました。
「そうかー。制限外せってことかー。」
会う人から、本から、ちょっとしたTVの内容からとかに、ハッとする日々。
というわけで、自分で自分の気持ちに気づき、納得してから一晩。
今日のこの肩の軽さは、自分で自分に課した制限という重しが肩に載っていただけなのではないか、と思ったのです。
イメージが体の治癒に大きな影響があることは知っていました。
しかし、イメージの出どころ次第で体の反応が違うという仮説が今日生まれたのです。
自分の本心と体がつながったとき、大きなパワーが生まれる気がします。