部分と全体
スローステップ(踏み台昇降のようなもの)で気がついた。
こうやって太ももを高く上げると、股関節が動いて足が動くことがわかるなー。
普通にウォーキングしてるだけでは、股関節より太ももとふくらはぎが足の主役と勘違いしてしまうなー。
全体を見ることで解決?
右側のビオレの花が元気ないのは、害虫や病気ではなくコイツ(かえるちゃん)が食べたせいだった。
こんにちは。
店長のサガワです。
上記の足のこと、とっくに気づいていらっしゃる方もいるでしょう。
そこから連想したのは、よくある健康法の「○○した方がよい」と言われても続かないのは、その方法の全体が見えないからではないかと。
足だって動かしてみないと身体との連動や全体像が見えてこない。
腕も然り。
五十肩などの違和感も肩から腕までの関係で見るのと、鎖骨や肩甲骨もつながっている関係で見るのとでは動かす意識も変わってきます。
スポーツ選手は自然にその動きができるから、フォームが美しいのではないかしら。
私も整体に関わってその都度意識するものが変化してきました。
あるときは筋肉、あるときは骨盤、あるときは血行や身体の内部、あるときは脳・・・しかし正解はひとつじゃない。
え?今頃ですか?(自分でツッコミ)
続けていなければこうやって全体を見る視点が深まらなったでしょう。
部分と全体でとらえるとますます身体が面白い。
なので、お客様にセルフケアをおすすめするとき、どれを選ぼうか、と迷うことも。
例えるならスター軍団の誰が推しメンなのか迷う感覚です。
私自身も今日はどの方法(推しメン)で身体をほぐそうか、と実験の毎日。
ちなみにひもトレのたすきがけは施術中しょっちゅうですが、うっかりそのまま買い物に行ってしまって、着替える時気づくパターンがしばしば。トホホ・・・。
慣れると恥ずかしさからふてぶてしさに変化。
「みんなは”変な人だな”と思ってても口に出さないんだな。ま、いっかー」と当たり前になってきつつあります。
自分への小さな習慣を続けるカギは、自分なりの全体をつかむことかもしれません。
それにお供する感情(面白い、こうなりたい、など)も原動力になるでしょう。